2007/6/3 日曜日
説教から一言「誘惑をしりぞける」
マルコ福音書 1:12-13
イエス様は洗礼を受けるとすぐ、四十日間荒れ野でサタンの誘惑を受
けられました。なにをなし、何を語ることが福音なのか、福音宣教に先
立ってそれを探られたのでしょう。これは違うという否定の形で解答を
得られました。
第一は「神の子ならこれらの石をパンになるように命じたらどうだ」
というパンを与える誘惑です。肉体をもつ私達はパンがなければ生きら
れませんが、パンさえあれば人として生きられるものでもありません。
第二は「神の子なら(神殿の屋根から)飛び降りたらどうか」という
奇跡への誘惑です。あっと驚ろかすような救いや、神様との信頼関係を、
奇跡をもって証明するような救いではないのです。
第三は「もしひれふして拝むならこれ(世の富)をみな与えよう」と
いう世と妥協する誘惑です。目的は手段を正当化しないのです。
人の救いのために、パンと奇跡と妥協は効果的ですが一時的です。経
済的、宗教的、政治的救いは、派手ですが上辺だけです。
私たちの住む世界も荒れ野であり、野獣が住む世界です。そこでイエ
ス様が神様の御心を確認されたことは私たちにとって大きな慰めと励ま
しです。
世の中にうまい話などありません。苦労さえすればいいと言うのでは
ありませんが、本当のことは苦労なしにはできません。つらくはあって
も神様を真実神とあがめ服してゆく。イエス様の与えてくださる救い、
それに従う私達の歩み、それは十字架の道以外にありません。
富里教会 牧師 内田 汎