2007/9/23 日曜日
神とともに歩む
説教から一言 「神と共に歩む」
創世記 5・1ー32
創世記5章にはアダムからノアまでの十世代の系図が記されています。真面目に聖書と取り組もうとする者にとって、この系図は戸惑いです。一番短命なエノクでも365年生き、メトシェラにいたっては969年生きたというのですから。
この記事を私たちの理屈に合わせようとするのではなく、このような表現で聖書が何を言おうとするかを聞くことが大切です。
この記事は人の死を語ります。人はどんなに長く生きても死ぬのです。人に罪が入った結果(3章)、罪は形をとり(4章)、人は死ぬものとなりました。まるで墓標のように面々と人の死が記されています(5章)。
人は「子をもうけ、生き、死ぬ」のです。人生に様々なことがあっても、不要な部分を削ぎとると、結局人には「子をもうけ、生き、死ぬ」しか残らないのです。 ここに冷徹なまでの聖書の人への評価があります。先ず私たちはこのことを心する必要があります。今思い悩んでいることが死の前に耐えられますか。
「墓標」の中に光ったものがあります。「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」です。神と共なる人生は光ります。人は神(永遠なるもの)に結びついて初めて人として生きられます。
エノクが神と共に歩めたのは幸いでした。しかし新約聖書は宣言します、「神が我々と共におられる」と。これが福音です。
富里教会 牧師 内田 汎