2007/5/6 日曜日
説教から一言 「感謝を見つける生活」
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16-22節
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスに於いて、神があなたがたに望んでおられるこ
とです」
毎日、感謝に満ちた生活を送れればどんなに幸いなことでしょう。不平や
愚痴、恨みに満ちた生活より、感謝して毎日が送れればこれに勝る幸いはありません。
「感謝せよ」と言います。感謝を自覚的にせよというのです。感謝は出来るか
らするのでなく、見つけてでもそうせよというのです。
聖書は暗く、つらい現実を知らないのではありません。それに目をつぶって
感謝せよというのでもありません。それが分かった上で「感謝せよ」というのは、現実を超えるものを見ているからなのです。
「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っても、いても、主ともに生きるようになるためなのです」
私たちの人生がこの神様の支配の下にあるからなのです。感謝することは、
神様のお心なのです。また感謝は救いを確認することなのです。
これは喜ぶこと、祈ることでも同様です。
2007年5月6日
富里教会牧師 内田 汎