説教・行事

2008/4/13 日曜日

死を前にして

 「わたしを知る神」                         詩編 139・1ー18 
     
 三種類の死があります。三人称の死は、例えば新聞で報じられる様なので、心は痛めますが所詮第三者の死です。 二人称の死は、私と一緒に生きてきた「あなた」の死で、腹に食い込みます。 一人称の死は、私の死で、どうしていいのかわからない不安と恐怖です。この死を前に、私たちは何を持っているのでしょうか。
 
 詩編139篇は神様の全知、全能、遍在を賛美した歌です。                信仰の民イスラエルは、バビロン捕囚という出来事で決定的な衝撃を受けました。
 それなりに国は大きくなり、神様から守られ、自分たちも神様を信じていると思っていましたが、バビロン軍が攻めてきて自分たちを根こそぎ滅ぼしたのです。自分の存在と信仰は根底からゆさぶられました。
 自分が神様に従う時神様は祝福して下さり、裏切ったら罰せられる。それは事実ですが、神様の恵みは自分の努力と熱心にかかっているのか。徹底的な絶望の中で、イスラエルの民は裏切っても私を決して捨てない神、私が知る神でなく私を知る神を知らされたのです。        
 
 信仰にはこの転換がどうしても必要です。これが分かっていなければ、何もかもを私から奪い取る死の前でどうするのでしょうか。礼拝するから神様は私を守のではなく、私たちを守り覚えてくださる神様を礼拝しています。死の時も御手のうちに置いてくださる神様を私たちは礼拝しているのです。
                                                      

2007/9/30 日曜日

全世界を支配される神

 説教から一言「全世界を支配される神」                
                                                             詩編 2章1ー12節
           
 詩編第2篇は「王の詩編」の一つです。新しい王の即位式の時などに歌われました。この詩には現実の王の模範とすべき理想的な王・救世主の姿が描かれています。この王は武力や富の力を背景に立つのではなく、全世界を支配される神の御旨を実行する王です。
 神の民イスラエルは、国が滅び、現実の王がいなくなってからも、神はいつかこのような理想的な王を救世主としてお与えになることを期待して、祈り続けました。

初代教会のキリスト者たちは、イエス・キリストこそこの詩編2編に歌われた王の実現であると信じました。
ヘンデルの作曲した「メサイヤ」(救世主)では、ハレルヤ・コーラス(第44曲)の直前の第40曲~43曲に詩編2篇が歌われています。まさに救世主を指し示す詩として位置付けられています。

 今なお混乱を続ける世界情勢の中でも、私たちはイエス・キリストの父なる神が全世界を支配しておられることを確信して、すべての事態に冷静に対処する者でありたいと思います。

                          富里教会協力牧師 島津 虔一

  

2007/7/29 日曜日

人生の基本姿勢

説教から一言「人生の基本姿勢」           
                                 詩編 1篇1ー6節 
 詩編第1篇は150ある詩編の序言として置かれています。この詩編に、全詩編の指し示す真理が簡潔・明確に示されています。

 その真理とは「人生にはいろいろな道があるように見えるが、究極的には
二つの道しかない。正しい道と悪い道、神に従う道と神に背く道である。そして神に従う道を常に選びとってゆくことが、人生の基本姿勢であり幸福な人生を歩むことになる」と言うのです。
 詩人は特に若い人たちに対して「悪魔の誘いは巧妙であり、人の心のすき
をついて次第に罪の深みへと人を引きずり込もうとするので、主の教えを昼も夜も口ずさむことが大切である」と説きます。

 ところで、神に従う道を歩もうとしても、挫折してしまう自分の弱さの問題が残ります。イエス・キリストはこの問題を解決するためにこの世に来られました。                                                イエス・キリストを救い主と信じる時に、主イエスのお力によって、私たちは自分の弱さに打ち勝つことが出来ます。

                      富里教会 協力牧師  島津虔一 牧師



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