説教・行事

2008/9/3 水曜日

全能者の前に立つ

 「神の答え」                     ヨブ記 42:1ー17
 
「あなたのことを耳にしておりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎみます
それゆえわたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」 ヨブ記42:5-6

 ヨブの神に対する態度には二つの面がみられます。第一面は、神は苦難の後に私を救ってくださるという深い信頼。第二面は自分は正しく、神の方が間違っていると断定し、神と対決を望む傲慢さです。この両面が一つになっているのがヨブ記の神に対する態度でした。

 逆に神はヨブに答えられました。(38~40章) 神は激しいつむじ風の中で、すなわち、ヨブの予想を越えて、創造主、全能者として力を圧倒的に示す形で語られました。その結果ヨブの傲慢は吹き飛ばされ、彼は恭順な態度をとり、深く反省し、神の前に悔い改めました
 そして同時に、ヨブは全く新しく生まれ変わりました。多くの不満や激しい怒りは消え去り、神が自分に応えて下さり、神との交わりの中に招きいれてくださったことの喜びと感謝が与えられ、希望をもって立ち上がりました。そのことが上記の聖句に示されています。

 神は生まれ変わったヨブを祝福し、以前の二倍の財産を与えられました。(42:10-17) ヨブが提起した問題、義人がなぜ不条理な苦難を受けるのかと言う問題には、直接の答えは与えられませんでした。
 しかし生まれ変わったヨブには、もはやそれらは小さな問題にすぎず、大切なのは全能の神に日々生かされ、導かれることであることが示されたのです。

                             富里教会協力牧師 島津虔一

2008/8/29 金曜日

不条理の中で問う

「絶望と死の苦しみの中から得たもの」    ヨブ記 19:1ー29 

「わたしは知っている。
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。」 ヨブ記19:25

  ヨブは甚大な災害を受けた当初は、信仰をもって冷静に受け止めました。しかし、激しさを増す苦しみの中でヨブはその不条理に悩み、自分の不幸を嘆くようになりました。
 
それに対し3人の友人たちが代わるがわるヨブに慰めを語り、助言しました。しかしヨブの苦しみは返って増すばかりでした。それは、友人たちが徹底的に ヨブの側に立ってヨブの苦しみを受け止めようとせず、自分たちの考え(当時の一般的な考え)を述べたに過ぎなかったからです。

  ヨブは絶望の中で神に激しく問いかけ、神のなさり方に異議を申し立てました。しかしそうする中で、ヨブは神を信じることを止めたのではなく、全能なる神はすべてをご存知であり、真実の自分を知っていてくださる、そして自分の味方として、自分の失ったものを取り戻してくださるに違いないという、以前よりも深い神信頼をもつように導かれたのです。上記の聖句はこのことを明確に示しています。
  

 ヨブが絶望と死の苦しみの中から得たものとは、このより深い神への信頼だったのです。
                      富里教会協力牧師 島津虔一

2008/7/1 火曜日

神よ、なぜなのですか。

 「神とこの世の不条理」                ヨブ記  1:1-2:13

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」 (1:21)

「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、
不幸もいただこうではないか」 (2:10)

 この世では、なぜ不正を行なう者が富を得たり、誠実に人生をおくるものが先日の秋場原の通り魔事件の被害者のような目に会うのか。こうした世の不条理の問題に取り組み、解答を示しているのがヨブ記です。
 
無垢な正しい人で神を畏れ、悪をさけて生きていたヨブは、多くの財産(家畜)と仲のよい10人の子供たちに恵まれていました。
ところが天災や略奪にあって、一朝にして全財産と10人の子供たちを失いました。更に彼の肉体に災いが及び全身ひどい皮膚病におかされ、悪臭とひどい痛みとかゆさに悩まされるようになってしまいました。しかしそれでもヨブは信仰を捨てません。

上記の二つの言葉は、災難を受けた直後にヨブが語った信仰の告白です。
ヨブの信じた神、聖書が示す神は、人間の側の願いに都合よく応えて、安易にご利益を与える方ではなく、すべての存在の創り主として、すべてを支配し、私たちがどのような状況にあっても変わらず、見守ってくださる方なのです。
富里教会協力牧師 島津 敬一



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