2007/4/29 日曜日
説教から一言「天地の造り主」
創世記 1・1ー2・4
創世記1ー11章を読むと随分とまどいます。私たちの知っている科
学の知識と違うからです。聖書は科学の本ではありません。科学の目を
もって聖書を読み批判することは、詩集に描かれている雲を気象学の目
をもって批判するのと同じくらい奇妙なことです。聖書は、神・罪・救
い以外は関心がないのです。
「はじめに、神は天地を創造された」。これは聖書全巻を貫くメッセ
ージです。「はじめ」とは時間のはじめ以上に、根本的、究極的という
意味です。この世界の出発、根源を語り、しかもこの世は神様の然り(根
本的な肯定、1・31)の中に保持されていることを宣言しています。
天地の造り主を信じるとは、神が粘土細工のように世界を造ったと考
えたり、私と無縁のところで宇宙の生成について思案するということで
はありません。国を失い、健康をそこない、事業が傾き、死に瀕する中
で、一体誰がこの世と私を支えてい給うかを知らされ、告白することな
のです。
「世の中は神様が造られたものだから、運命を恐れず、こっちさえ本
当の信仰をもっていれば必ず祝福される」と言い続けて、羽仁もと子さ
んは困難な事業を続けたのでした。
2007年4月29日
富里教会牧師内田汎