説教・行事

2007/6/10 日曜日

私たちをおおっている神の愛

 説教から一言「私たちをおおっている神の愛」  
                                 マルコ 1・14-15

         
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」イエス様
の第一声です。

 神様の定められた決定的な「その時」が来たのです。「神の国」とは、場所よりむしろ支配です。「近づく」とは、遠くからだんだん近づくのではなく、ここに、のしかかるように来ていることです。
 神様が人を救うために定められた時が来て、神様の愛の支配がここに来
ているということです。

 「悔い改める」とは、失敗した自分の過去を反省したり悔いることではありません。新しく生まれる(ヨハネ3:3)ことです。自分の視野と才覚だけ で生きていた者が、神様の方向にむかって生きること、自分中心から神中心に生き方が変わることです。
 ヨハネは罪人への迫り来る神の怒りから悔い改めを説きました。イエス様は罪人への迫り来た愛から悔い改めを説きます。

 天道是か否か。生まれながらの体のハンディや突然のアクシデント。私たちは時として、ぞっとするような人生の深みを覗きます。その際、苦しみや悲しみを、暗黒や罰からでなく、愛の支配の中で見なおしていますか。のしかかるような神様の愛の支配が、イエス様によってもたらされたのです。        このことは、聞きおくだけでは自分のものとはなりません。何事でもそうですが、語られたとおりに一歩を踏みだして、初めて自分のものになります。四人の弟子の召命は、その実例です。

                             富里教会 牧師 内田 汎



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