説教・行事

2007/9/9 日曜日

愛と義の関係

説教から一言「義と愛の関係」               
                                   マルコ 3・1ー6
 「安息日に律法で許されているのは善を行なうことか悪を行なうことか、命を救うことか殺すことか。」  
                 
 律法を形式的に守ることは無意味なこともあります。しかし形式的に守ることは、いくらでも自分を誤魔化せる私たちにとっては弁解の余地のない厳しい義の一つの姿です。一体筋を通さないで事はなるのでしょうか。 
 義に生きることは神様との関係に生きることですが、私たちは隣人との関係でも生きています。義しく生きると共に愛にも生きます。義と愛の関係は、私たちが生きる上でのギリギリのせめぎあいの問題です。

 愛のない義は人を生かしません。義を追求することが、いつのまにか人の間違いを追求することにつながり、人を殺します。また義の裏打ちのない愛や許しも人を生かしませんし、やがては人をだめにして殺します。
 マタイ福音書ではこの記事の後にイザヤ書の苦難の僕の預言(マタイ12:15、イザヤ42:1)を引用しています。愛するとは自分が傷つくことです。自分が傷つかずに愛を語ることは出来ません。義と愛の関係を、それによって命を狙われたイエス様が明らかにして下さいました。

日常生活での愛と義の行為、それはその都度イエス様に聞いたらよいのです。  
                             富里教会 牧師 内田 汎 



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