2007/10/15 月曜日
神の赦しと愛に立つ
説教から一言「神の赦しと愛に生きる」
マルコ 3・13ー19
十二弟子の中にイエス様を裏切ったユダがいます。イエス様は間違って選んだのではありませんし、決して裏切らない者だけを選んだのではありません。ユダの問題は、私の問題なのです。
他の弟子達もイエス様を見捨ててゲッセマネの闇に逃げ去り、ペトロは神かけてイエス様を否定しました。程度の差こそあれユダも他の弟子達もイエス様を裏切ったことは同じで、後でそれを悔やんだことも同じです。 弟子達がイエス様を見捨てても、イエス様が弟子達を捨てたのではありません。ペトロは惨めな姿をそのままイエス様の前にさらし、ユダは一見潔く失敗を自分で処理しました。ペトロとユダの差は紙一重です。主の赦しに生きるか、自分の心のままに生きるかです。自分でも自分を裁かず、(1コリント4:1-4)、主の赦しの恵みにしたたかに生きる、これが信仰者です。
〈深津文雄〉「悲しみを通らない喜びはやがて悲しみに終わる、しかし悲しみを通った喜びは再び悲しみに変わることはない。病むまでの健康でなく病みぬいた健康、失敗するまでの成功でなく失敗を克服した成功、汚れるまでの清さでなく汚れから立ち上がる清さを私達は主から求めよう。主は喜んで世の罪を担い、苦しみを受け、一度黄泉に下り、そこから甦られのだから」
富里教会牧師 内田汎