説教・行事

2007/11/25 日曜日

心の不通の原因とその対策

「心の不通の原因とその対策」                             
                                  創世記11・1ー9

 人々は石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れました。その技術と文明を用いて「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散ることが無いようにしよう」と言い、それを実行しました。
 
 文明が悪いのではありません。技術の発達は、人を繁栄と便利な生活へ導きます。それが塔のある町を建てることを可能にし、人々は嬉々としてその作業をしたに違いありません。共通の目標は人を一つにします。
 しかし、時をかけても塔は完成せず、言葉は通じなくなり、ついには人々は散りじりになってしまいました。聖書には神様がそうしたように書かれていますが、それは人の自業自得なのです。技術の故に自分を誇り、自分を絶対化した時、隣人との言葉が通じなくなり、散りじりになります。言葉が聞こえないのでも理解出来ないのでもありません。自分中心が言葉を通じなくさせているのです。

 聖霊が下った時(使徒2章)、全世界の言葉が通じだしました。私の罪が示され、神様の赦しと愛の中に置かれていることを知らされる時、互いの言葉は通じ合うのです。誇りでなく、この赦しと愛に生きていますか。

                             富里教会 牧師  内田 汎

2007/11/18 日曜日

実を結ぶ聞き方

説教から一言 「実を結ぶ聞き方」           
                         マルコ 4・1ー20

  種は「御言葉」です。種の播かれる畑は私たちの心です。種が播かれ、ひとたび御言葉がその人のうちに根付きますと、その人のうちに何事かをしないではおきません。御言葉には生命があるからです。       
 すると問題は、それを受けとめる私たちの心・畑です。                                                 自分の経験や価値観から自分のガードを固めて、初めから聞く耳を持たず、御言葉を受け入れない道ばたの心。                
 苦しいことが起こるとすぐにやめてしまう(いったい継続しないで事はなるのでしょうか)石地の心。
  何にでも興味を示し、興味はよいのですが、興味も御言葉も同じ重さなのです。つまり御言葉がなくてならぬものだと言う認識がない茨の心。    
 素直に御言葉に聞き、堪え忍んでそれを守る良い地の心。  
                                       

 ここには四つの種類の畑が記されていますが、イエス様は、おまえの心はどれだと言って裁いているのではありません。       こういう聞き方をしていては実を実らせることは出来ない、よい畑になってぜひ実を結べと言っておられるのです。「神様の愛の支配が始まっているのだぞ」という御言葉を、ぜひ根付かせなさいと言っておられるのです。 

富里教会 内田 汎 牧師

2007/11/11 日曜日

わたしの母、わたしの兄弟

説教から一言「わたしの母、兄弟」           
                           マルコ 3・31ー35

 「見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(3・35)

 私たちは肉親によってこの世に生を受け、育まれ、導かれてきました。このこと抜きには今日の私たちは考えられません。
 しかし私たちを今日あらしめたものは肉親や友人だけではありません。わたしが配慮する以上にわたしを配慮し、自分で自分を気遣う以上に愛と赦しをもってわたしを気遣い給うお方がいるのです。
 同じ父母から生を受けたものが兄弟であるように、この天の父の元で、私たちは兄弟姉妹なのです。

 主イエスは肉親を捨てよと言ったり、肉親はこの世では仮の姿であると言われたのでもありません。肉親の関係は神様によってとらえなおされ、清められる必要があるのです。
 肉親の愛は麗しいものです。そこには他人が入りこめません。しかしそれだけに、肉親の故の我がままや醜さも私たちは知っています。
 神様から託されたものとして、肉親を愛し、育み、仕えます。真実に神様が崇められるところで、肉親の関係も強められ、清められるのです。
 

2007/11/4 日曜日

赦される罪、赦されない罪

説教から一言 「赦される罪、赦されない罪」               
                           マルコ 3・20ー30
           
「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。イエスがこう言われたのは、『彼は汚れた霊に取りつかれている』と人々が言っていたからである」

 彼らはイエス様の行状を見て、それが尋常なことでないことは分かっていました。しかしイエス様の業を神様の業とは認めず、あえて汚れた霊に取りつかれた者の業としたのでした。

 無知、無理解、弱さから、人はしばしば罪を犯します。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23:34)と叫ばれた主イエスの十字架のなかに、これらは包み込まれています。

 しかし、事実を知りながら、分かっていながら、故意に自己を押し立てて事柄を認めないかたくなさ、これが問題です。
 聖霊は私達の心の内に、罪と赦しをささやきかけます(1コリント 12:3)。この導きを拒む者に悔い改めと赦しのないことは必定です。このささやきを拒んで、人は一体どこでその歩みを正されるのでしょうか。
                      富里教会 牧師 内田 汎                                                 

2007/11/2 金曜日

心の不通の原因と対策

2007年富里教会クリスマスの案内

クリスマス礼拝・祝会

12月23日(日)朝10時~11時30分説教「救い主を拝みに行く」 聖書 マタイ  による福音書2章1っ~12節 礼拝式後ご希望の方と祝会(昼食会)をいたします。皆様のご参加を歓迎いたします。

クリスマスイヴ キャンドルサーヴィス(燭火礼拝)

12月24日(月・祝)夕6時30分~8時 合唱団「たんぽぽ」と共催して、ペンライトの光の中で、クリスマスにちなむ聖書を読み、讃美歌を歌います。ショートメッセージ「愛に生きる」 聖書マタイによる福音書5章43ー48節  会が終わって7時半~8時ころまでお茶を飲みクッキーい,軽食をつまみながら交歓の時を持ちます。皆様のお越しを心からお待ちしております。

 「バベルの塔」                             
                                  創世記11・1ー9

 人々は石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れました。その技術と文明を用いて「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散ることが無いようにしよう」と言い、それを実行しました。
 
 文明が悪いのではありません。技術の発達は、人を繁栄と便利な生活へ導きます。それが塔のある町を建てることを可能にし、人々は嬉々としてその作業をしたに違いありません。共通の目標は人を一つにします。
 しかし、時をかけても塔は完成せず、言葉は通じなくなり、ついには人々は散りじりになってしまいました。聖書には神様がそうしたように書かれていますが、それは人の自業自得なのです。技術の故に自分を誇り、自分を絶対化した時、隣人との言葉が通じなくなり、散りじりになります。言葉が聞こえないのでも理解出来ないのでもありません。自分中心が言葉を通じなくさせているのです。

 聖霊が下った時(使徒2章)、全世界の言葉が通じだしました。私の罪が示され、神様の赦しと愛の中に置かれていることを知らされる時、互いの言葉は通じ合うのです。誇りでなく、この赦しと愛に生きていますか。

                              富里教会 牧師  内田 汎



copyright©Tomisato Church