説教・行事

2007/12/2 日曜日

来るべき方あなたですか

「来るべき方はあなたですか」 
マタイ 11:2-15

マケラスの牢屋に入れられていたヨハネは弟子達からイエス様の様子を聞いていました。その報告を聞き続けているうちにイエス様への根本的な問いが湧き、イエス様のもとに使いを送りました。「来るべき方はあなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか」と。死人は生き返ってもやがて死ね。長血を患っていた女が癒されることは女にとっては喜びでも、この悪と暴力の世界は改善されない。イエス様の救いとはそんなものだったのですかと。

「行って見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」と、イエス様が行い、ヨハネがすでに報告を受けていたことをもう一度語れと言われました。目の見えない人は見え、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされていることは、イザヤの預言(35:5以下)の預言に実現で、神の大いなる救いの時の始まりなのだと言われるのです。
ヨハネはヘロデの悪を糾弾して収監されました。それが私たちの現実なのです。ヨハネの働きを高く評価されるイエス様がヨハネを救出に行けばいいのですが、そうしません。イエス様なら人びとを動員して出来ないはずはありませんが、それをしません。

病いと貧しさの前で、あっと驚くような救いを求めたくなります。悪が跋扈する世界で愛は無力のように見えます。愛によってやっと築いたとしても力の前にたちまち崩されてもとの木阿弥になってように見えます。
しかし十字架によって明らかにされる神の愛の支配、赦しと愛が実行されることこそが救いなのです。社会全体、十把一絡げの救いで葉なく、一人ひとりがしっかり受け止められ、自分の尊さがわかって生きられることが救いなのです。イエス様によって大いなる救いが始まりだしたのです。

富里教会牧師 内田 汎



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