説教・行事

2007/12/17 月曜日

神は我々と共にいます

「神は我らと共におられる」        

                                マタイ 1:18-25

 ヨセフにとっては青天の霹靂でした。婚約していたマリヤが身重となったのです。何日も眠れぬ夜を過ごし、怒り、煩悶したに違いありません。これはマリヤとても同じです。律法に従えば公にしてその結果石打の刑にすることですが、ヨセフにはそれは出来ませんので、密かに婚約を解消しようとしました。
 「このように考えていると主の天使が表われて言った。『ダビデの子ヨセフよ、恐れずに妻マリヤを迎え入れなさい。マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリヤは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」
 ある人は、これは神様がヨセフに頼んだ言葉だと言います。縁を切ってはいけない。妻として迎え、生まれてくる子を自分の子として迎えて欲しいと。
 二人は神様の言葉に従って、ベツレヘムで宿屋を探し、生まれた子をイエスと名付け、ヘロデの殺害を知るとエジプトに下り、ベツレヘムに住みました。黙々と神様のお心に従って、それによって神様の業が起ったのです。イエス様によって「神は我々と共におられる」ことがはっきりしました。
 救いは神様がただ存在するだけでなく、共におられる。世の終わりまで共にいてくださることがはっきりすることです。その際、ただ共にいてくださるのではありません。罪を犯した者を、イエス様を代わりに罰することで赦し、それで神様が共にいてくださるのです。わたしが神様と共に人生を歩くことが信仰のように思いますが、神様の方が共に歩んでくださると決意してくださったのです。ここに聖書の徹底した救いがあります。

                              富里教会牧師 内田汎



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