説教・行事

2008/2/10 日曜日

信仰の成熟

「癒しから救いへ」             マルコ 5・21ー34

 十二年も出血が止まらない女が、群衆にまぎれこんでイエス様の衣にさわりました。衣にでもさわれば癒されると思ってのことです。そして事実癒されました。イエス様は人生の非常口です。
 聖書の信仰はここから始まります。病気が治って一切の問題が解決したのではありません。この女は病気が治って社会に復帰し、結婚だってするかもしれません。病気の時は早く治って生きたいと思うでしょうが、健康になったら一層のこと死んでしまいたいと思う問題にも出会うのです。

 恵みをいただいて、それでこと足れりとする信仰は脆弱です。倦怠と慣れはいつも私たちについて回ります。恵みは時と共に色あせ、感謝は感謝でなくなるからです。                                                           
 私たちは、愛し愛され、配慮し配慮される関係の中で毎日を生きています。信仰とは、神様とこの関係に入ることです。この関係を結ぶためにイエス様は女を捜されたのでした。

 女はイエス様の前にありのままを語って自分を投げ出し、イエス様も「安心して行きなさい」と語られます。目先のあの事この問題の解決だけでなく、その後の生涯を神様の愛と配慮の中で生きられるのです。                                                       

                      富里教会 牧師 内田 汎



copyright©Tomisato Church