2008/2/17 日曜日
恐れを信頼に
「恐れるな、信ぜよ」
マルコ 5・21ー43
会堂長ヤイロは、危篤な娘を気遣ってじりじりしていました。折角イエス様が娘のところに向かって下さっていたのに、出血の止まらない女のことで時間をとられたのです。そして「お嬢さんは亡くなりました。もう先生を煩わすには及ばないでしょう」と聞かされます。死は私達から全てを奪います。人生の喜びも、一家の団欒も。人は死の前に無力なのです。
「恐れることはない、ただ信じなさい」「なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」「タリタ、クム(少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい)」 イエス様(聖書)にとって死は死ではなく、甦るための眠りなのです。この娘も私たち同様にやがて死にます。イエス様は甦りの先取りをされて娘と父を繋がれたのです。
松原教会山田京二牧師は「私達が求めているのは死なないで生きることであるが(死んだら絶望)、福音が私達に伝えようとしているのは死んでも生きる(死を越えての望み)ことである」と言われます。
「国籍は天にあり」と言い、「身体の甦りを信ず」と告白します。それは葬式の常套語ではありません。私たちは死を越えての望みに生きています。死は永遠の別れでも、無に帰することでも決してないのです。イエス様が十字架の死と甦りによって私達を天につないで下さったのです。
富里教会牧師 内田 汎